為末 大の意識改革

私は大学時代に上を金髪に染めていた時期があり、ピアスも空けていた。立ち振る舞いは紳士的にしていたつもりだったが、その風貌に対する批判は多かった。
直接批判を受けたのは大学だったり、恩師だったりしたから心苦しかったが、この件で気づいたことがあった。

 私は大学に入ってから、結果を出すことの重要さをいつも思っていた。結果がすべてで、だからとにかく結果に対して影響を与えないものには努めて無頓着に振舞った。

 私の職業が早く走る、もしくは学業に励むとするのであれば、風貌というものはいっさい影響を与えない。もし金髪にすることが競技力低下に影響をおよぼすのであれ
ば、そうはしなかったと思うが、おそらく影響はないだろうから気にしないでいた。そして、わたしの意識としては、当然世間もそうだろうという認識があった。

 しかし、実際にはまったく違った。見た目がよくない、世間に悪影響を与えるなどの批判を受けた。競技者は結果がすべてなんだといわれ続けてきたのに話が違うじゃ
ないかという反発も覚えたが、しかしそのうちに、もしかして世の中は感情で動くことのほうが多いのではないかと思うようになってきた。当時は成果主義について、実際には
日本では根づかないだろうと述べられた本を笑んだ影響も大きかったと思う。日本では感情を無視して攻めるのはあまり有効ではないと感じた。

 それから上を黒くし、ピアスを外した。競技力に影響がある・ないで判断するのであれば、私の風貌に対してなんらかの感情を抱く人がいる。そしてその人がある技術を持って
いるとすれば、私がそれを得ようと彼に近づいた際に私の風貌は、競技力向上に悪影響を及ぼすことになる。そう考えれば、私の風貌は不利益以外の何ものでもなく、実際に
私の気づかない間にもそういうことはあったかもしれない。感情的には割り切れなかった部分も、確かにあった。けれどもいったん姿かたちを元に戻した後の周囲の反応を見て
しまうと、差は一目瞭然だった。それからは風貌だけでなく、人がどう動けばどう思うのか、幼少の頃より得意だった人間力学のようなものを意識し始めるようになった。

                          陸上競技マガジン2月号より

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